日本の技術者は情報発信をしていないのか
日本の技術者は情報発信をしていないだろうか?私はそうは思わない。日本の技術者コミュニティの変遷をLinuxでモデル化してみようと思う。Linuxが、まだまだコアな技術者のみが注目している状態のとき、大体、メーリングリストなどのコミュニティが立ち上がる。そこでは企業の垣根を越えて情報交換が行われ、徐々に大規模化していく。Linuxのように、大規模に成長していく可能性が高いものの場合、およそ500名〜1000名ほどの参加者のときが一番面白いと思う。このときの参加メンバーが、後の大規模化したときの古参メンバーとなり、このコミュニティの文化を培っていく。
1500名を超えるとそろそろ、この分野が儲かりそうだとか、一般で聞きかじった人もこのコミュニティに参加してくる。そうしてくると、古参メンバーと新規参加者の間で、「初心者です。教えてください」「質問の仕方がなっていない」など、小競り合いが起きてくる。そして、その後、技術が成熟してくるにしたがって、そのコミュニティも成熟し、徐々に衰退期におちいってくる。参加者はそれほど減らないが質問自体が減り始め、役目を終えたということで管理者が解散するなどして終了していく。
Linuxの場合は、第一次ビジネス組がインターネットが立ち上がるのとほぼ同時期に情報交換の活発な担い手となり、第一次ビジネス組が管理職なり、メーリングリストなどに頼らない情報収集の手段を得るなどの理由で、徐々に現場を離れていく。当初、立ち上がったLinux系の大規模MLは今でも新陳代謝を繰り返し存続しているが、さすがに一時期の勢いはない。現在は、おおよそ成熟期といったところだろうか。
また、Linxuコミュニティの現在の特徴としては、CDブートのLinuxであるKnoppixに代表されるLinuxの応用分野で、よい意味でコミュニティが分散化し、その分野に興味を持つ、若い新しい血がコミュニティに参入し、今に至ると思われる。これはコミュニティが収束、発散を繰り返して成長していくよい事例であるといえると思われる。
正直、私のように広島の片田舎で技術者をしていたようなものにとって、コミュニティの存在を抜きにして仕事は考えられない。特に、まだまだWindowsNT4の情報が少なかった時代に、当時Windowsサーバのコミュニティとしてメジャーであった「NT-ml」がなければ、メーカの言いなりだったろう。数千人が切磋琢磨して情報交換するコミュニティがあればこそ、メーカの矛盾点などをつける技術力を身につけることができたと思われる。
また、こういったコミュニティ活動を行っていると、大抵の人が感じることだと思うが、「情報というものは、発信すれば発信するだけ、大きくなって自分に帰ってくる」というものである。コミュニティでの発言権は、たくさん良質な発言をすればするだけ増す。そうして培われたネット上の発言権は、OFF会などでの発言権とも連動し、最終的にリアルな自分自身の仕事とも連動してくる場合もある。
こうして培われた人脈は侮れない。
私自身、コミュニティ活動で、MicrosoftからMVPなるAwardをいただいているが、先日、友人からWindowsのカーネルレベルでCodeを読める人を紹介してくれといわれて、MVPのつてをたどって人を紹介してもらった。これは、通常のビジネスベースでは考えられないことだろう。コミュニティ活動により、通常は企業内の競争原理の源泉ともいえる、コア技術者と直接コネクションがあればこそ実現した出会いだった。
こうした経験から、少なくとも私は、一般の人からするとニッチな分野かもしれないが、日本においても技術者は情報発信もすれば、相互コミュニケーションをしている人間もいると考えている。
ただし、まだまだ自分の経験は、一般の日本の社会では相当異端の部類に入るとは思ってもいる。中小規模の企業において、このようなコミュニティ活動を行っている人間は、おおよそ、1%にも満たないだろう。