日本におけるインターネットコミュニティ変遷

まず、日本におけるコミュニティ形成は、点から始まった。それは個人であり、その個人が持つWEBサーバ、ネットニュースだったと思われるが、なんにせよ、個から出発したといって間違いはないだろう。(正確にはパソコン通信の時代にまでさかのぼる必要があるが、今回は割愛)
ただし、個では効率が悪いので、いくつかのパターンで、個は集合化し、コミュニティが形成されていく。それは、メーリングリストであったり、NetNewsであり、WEB上の掲示板であったりしたであろうが、大体が多対多の相互コミュニケーションであった。そこでは、個人名が用いられ、最低限ハンドル名で固体識別できる形で、ある程度個人の発言に責任があるとされた。ここまでが2ch誕生前。
そして、いわずもながな、2chの登場、匿名といういいっぱなし、玉石混合、本音ベースの、匿名により悪いことが悪いといえなくもない特異なコミュニティが形成された。
ただ、ここまでは、コミュニティは極大の方向に向かっていたと思われる。この時期(2000年〜2003年)、NetNewsは廃れていたったが、数千人規模のメーリングリスト、大量の集客を行えるWEB掲示板がメインストリームだった。
そして、2003年以後、はてな の登場により、大規模コミュニティは廃れていく。
たとえば、2002年ほどまでは新年の挨拶でメーリングリストなどで「あけましておめでとう」という習慣があったが、2003年以後、そういった習慣は激減した。
ほとんどが はてな に代表される自分のblogでの告知となった。
これは、大規模的な多対多のコミュニティから、個対小規模な多というコミュニティの分散小規模化が起こったためではないかと、私は思っている。この現象には功罪の両面があるのだが、この点については、後述しようと思う。